2007年12月29日土曜日

クリスマスプレゼント

息子が産まれて初めてのクリスマス

息子がまだ何も分からない事をいいことに、自分達のケーキやら食事やらは多少色をつけたくせに、息子へのプレゼントは何も用意しなかった私達にうってかわって、お義母さまは、しっかりと息子へのクリスマスプレゼントを用意してくださった



かわい~~~     でしょ?

これ、この間、千葉に行った時に買っていただいた。

いつも買っているバー○デイとは違い、ちゃんとしたブランドの一品

今の息子にぴったりのサイズなので、さっそく次の日に旦那の歯医者についていくだけなのに、息子はしっかり全身着飾って

「何でぼく こんなオシャレしないといけないの??」

と疑問を感じてる息子をよそに

「やっぱりいい服は生地がしっかりしてるよねぇ」

と、親だけなぜかすっかり上機嫌(行き先は歯医者ですけどね)


最近の息子は、なぜか車に乗ると、う○こをもよおすことをすっかり忘れていた私達は、歯医者に行く途中、息子がチャイルドシートの上で

「ウ~~~~~~ン!!」

と踏ん張りだしたのを聞いて嫌~な予感が…

歯医者に着いて、息子を下ろした途端


プ~~ン

やっぱり…

予感的中!!

息子のウ○コは勢いよく出たせいか背中まで流れ出ていて、お義母さまに買っていただいた、ブランドのかわいいお洋服は、着てわずか1時間で息子のウ○コにまみれに…


あのぉ…

すみませんが、新しいお洋服のときは、う○コを出すときにもう少し勢いを抑えていただけるとありがたいのですが…


1時間前の私は、このお洋服をすぐに冷たい水道で洗うことになるとは、夢にも思わなかったのでした

2007年12月27日木曜日

二人目?!

出産してから、もう少しで、
はや5ヶ月

息子も着々と成長し、日々色々な表情を見せてくれるようになった

が、

私の体重はいっこうに落ちない…

そもそも、妊娠中に気をつけてはいたものの、最後のほうに

ドドン!!

と増え、トータルで14kg太ってしまった


出産を終えて、退院の日、体重計に乗ったら、あと4kgで妊娠前の体重ってところまで いってたのに、そこからまったく減ってません。


うちは、完全母乳なので、おっぱいが大きくて(期間限定ですが…)上に着る服が入らないのは仕方ないにせよ、妊娠前のズボンやスカートが全然入らない

なんだか、今、新しいのを買ってしまったら、この先、今まで着てた服を全て処分しないといけなくなる気がするので、実家の母からズボンを1枚頂戴して、なんとかそれ1枚で過ごしてます



まだ、息子が2ヶ月チョットのとき、義母と千葉に買い物に行った。

久しぶりの都会の空気にルンルンだった私は、3年ほど前まで勤めていた職場のSちゃんに、ばったり会った

久しぶりすぎて名前が出てこなかった私は、彼女に近づき

私 「久しぶり~!!元気??」

Sちゃん 「わ~お久しぶりですぅ。えっとぉ…。買い物ですかぁ?」

どうやら相手も名前が出てこない様子

私 「そう。私さぁ、結婚して館山に住んでるんだよねぇ」

Sちゃん 「そうなんですかぁ。いま、仕事何やってるんですかぁ?」

私 「専業主婦だよ。この前、息子出産してさぁ、いま、2ヶ月なんだよねぇ」

Sちゃん 「あっ、そうなんですかぁ。おめでとうございますぅ。(私のお腹をチラッと見て)
     
      で、いま、二人目ですかぁ?」

私「・・・・・ これ、自腹なんだよねぇ」

その後、そこには異様な空気が流れ、そそくさとSちゃんは去って行った

よく考えたら、息子が2ヶ月で、出産してすぐに妊娠しても、そんなにすぐにお腹大きくなんないって分かるんだけど、いやぁ~Sちゃんに悪気がないから、なお、食らいましたね。この一言

そして、

痩せるぞ~~!!

とは、思うものの…

ビリーもやりましたよ

でも、10分後には息子の泣き声と共に終了!!

チビちゃんがいたら、なかなか思ったように時間がとれず、

それを理由にまた1っ歩デブへの階段を昇って行ってる気が…


ここで、頑張らないと一生

「あ~、あと4キロ痩せたい」

と思いながら生きていかないといけない…

ヘルプ ミー!!

2007年12月22日土曜日

オイルヒーター

うちは、なぜか、家の中が

すっごく寒い

築8年の今どきの間取りの今どきの家なのに、なんでか家の中が冷え切ってる。



結婚する前に旦那が

「この家、本当に寒いんだよねぇ。冬なんて布団5枚くらいかけて、顔だけ出して寝るんだよねぇ。朝起きたら、顔だけ凍ってるような冷たさなんだって」

と、いう話を聞いて

「そんな、オーバーな。だって、ここ館山じゃ~ん」


なんて思ってたけど、去年の冬、本当に、布団5枚近く出して寝てました。




どのくらい寒いかと言うと…

去年の冬に友人と10人くらいで、うちで鍋したとき
大人が10人も集まって、鍋を囲んでたら、暑くなるはずなのに…



誰一人コートを脱ぎませんでした。



そのくらい寒いんです



分かってもらえました??



で、この間、実家に帰ったときにいい物を発見



        じゃじゃ~~~~ん





     オイルヒーターです



これ、私がニュージーランドにいるときに、どの家にも1台はあるというかなりの普及率でした



ファンヒーターやストーブのように、すぐには暖まらないけど、じわ~っと部屋の中があったかくなってきて、寝るときに弱めでつけっ放しにしておいても部屋が乾燥しなくて喉も痛くならない優れもの(あくまでも、私の場合はですけど)

まだ、4ヶ月の息子のこの家での寒さ対策に頭を悩ませていた私は、親に懇願して(というより、ほぼ無理やり…)頂いて参りました。



いやぁ~、この商品、使ってみて、本当にいいですよ



なにがいいって、喉が痛くならないのがいい



お父さん、お母さん、安心してください

このオイルヒーター、鹿児島にいる時よりはるかにいい仕事してくれてますよ~

2007年12月19日水曜日

只今 交信中

最近、息子が、よく声を出すようになってきました。



文字にすると


「○※★△□◎◇」


いわゆる、喃語(なんご)と言われる赤ちゃんの言葉です



最初は、


「しゃべってるぅ~。かわいぃ~」


と、我が子の成長振りに旦那と感動したのですが…



最近、声が大きくなってきた息子は、声を出すのが面白いのか、

調子がいいときは、昼夜問わずに

すーーーっとしゃべってます


昼間は、


「じょうずだねぇ~」


と、微笑ましくなるこの喃語


夜中にいきなりムクッと起きて

天井を見て、にこにこしながら


「○※★△□◎◇」


「あっ、宇宙との交信始まっちゃったね」


明日、5時半に起きなのに、
夜中に息子に起こされながらもそんなギャグをいえる旦那


あんたはえらい!!

2007年12月11日火曜日

食の安全??

最近、食の安全について日々報道されてます。

房総地区でも、もちろん、安全に管理されてます。

よね??


先日、友達が遊びにきてくれて、必需品のお茶菓子がなかったので(正確には買ってきてもすぐに食べちゃうので置かないようにしてます…)、近くのおばあちゃんがやっている、どうやってこの店は商売が成り立ってるのか心配になってしまう店に、買いに行きました。

この時点で私は、大きなミスを犯していたのですが…

お店に入った瞬間、やばそうな臭いはプンプン漂ってました。


まず、この値札


いまどき、手書きはないっしょ


でも、一度入ったからには何か買わないと出れない小心者の私は、かりんとうやこんぺいとうやのど飴などに埋もれ、唯一おいしく食べれそうなチョコレートのお菓子を購入


でも、おばちゃん、これ、ホコリがすごいんですけど…


家に帰って開けてみて更にビックリ!!
あのぉ、私達って、このお菓子を買ったんですよねぇ??


船の形はどこにぃ??




旦那が友達と、千葉県の竹岡にあるよく雑誌にのってるラーメン屋に食べに行ったときのはなし

そこは、おばちゃんたちでやってるお店で、雑誌に載ってるだけあって、お店は繁盛してました。
旦那のもとに、おばちゃんがラーメンを運んでくれたとき、おばちゃんの指がどっぷりラーメンの汁の中に…
「おばちゃんの指、汁の中につかってるって!!」

その旦那の言葉におばちゃんは、

「うん。熱くないから大丈夫!!」

と、笑顔で答えたそうです。

「あっそう…。そりゃぁよかった…」

精一杯の旦那の答えでした。

2007年12月9日日曜日

ばあちゃん

今日は、母方の祖母「ばあちゃん」の話

このばあちゃん、一言で言うと


肝っ玉ばあちゃん


昔から苦労が絶えないような話はよく聞くけど、根が物すごく明るくてギャグのセンスも良いので、なんだか苦労も笑い飛ばされてしまいそうな感じのばあちゃんです


結構、本音で生きてるので、気持ちがいい


昔、ばあちゃんの家で飼ってた犬も、ばあちゃんが竹の棒を振り回して「ごん!!(犬の名前)」と、いう一言で、大声で吠えまくっていた犬を黙らせてしまうくらい勢いがあります。


そして、「ばあちゃん」と言えば、

「おはぎ」と「秋刀魚と昆布のお寿司」



これねぇ~、本っっっっっっ当に絶品です。あんこ嫌いな私もばあちゃんのおはぎと赤福なら喜んで食べます。

全国の皆さんに食べさせてあげたくらい

ということで、私、代表して頂いてきました

「まさに海のコラボレーションや~」


この秋刀魚の寿司は脂ののってない秋刀魚でないとうまく出きないので、紀州の秋刀魚をわざわざ取り寄せて作ってます

ふぅ~  しあわせ~                     ばあちゃんと縁側で

2007年11月29日木曜日

おばあちゃん

私の家では昔から、父方の祖母は、「おばあちゃん」、母方の祖母は「ばあちゃん」と、呼ばれてます。

おばあちゃんは鹿児島の実家と同じ敷地内に住んでいます。


この「おばあちゃん」父の母とだけあって、とってもハイカラです。


まず、鹿児島人とだけあって、お酒も結構いけます。

私達の結婚式のときのいい飲みっぷりに義母は、びっくりしてました。


気持ちがとっても若くて、55歳も年齢の違う私と話していても、とっても話が合って面白い。

特に海外に行った話は、話を聞いてて飽きることはない。

おばあちゃんが、初めて海外旅行に行ったのは、昭和45年。おじいちゃんと一緒にツアーに参加して、ヨーロッパに行ったそうだ。

当時、海外旅行に行くことがまだ珍しい時代で、九州からの参加者は2組だけで、全国から募集をして、前日、海外旅行に行くためのマナー教室をホテルオークラでにわざわざ1泊して行われたらしい。

今、そんなツアーを企画したら絶対に人は集まらないだろう

ちなみに、そのマナー教室の内容って、水洗トイレの使い方とかだったらしい。時代がうかがえる。


その後、おじちゃんが突然亡くなって、しばらく何も手につかなかったおばあちゃんを立ち直らせてくれたのも、きっと海外旅行だったんだと思う。

そして、おばあちゃんのお姉さんや私の両親などと旅行をし、今まで20カ国以上を旅した。南米以外の大陸は制覇したらしい。


ここまできたら、是非南米大陸にも行って頂きたい


そして、何より読書が大好き。

ジャンルを問わず、面白い本があったら何でも興味を持って読む。

昔、私が「さくらももこ」が面白いと薦めたら、おばあちゃんもすっかりはまってしまっていた。

ここにも若さの秘訣があると思う。


今回、息子を連れて帰ったら、おばあちゃんの子育て中の話を聞くことが出来た。

「昔ね~、子供に添い寝をしながらお乳をあげてたら眠たくて気持ち良くってね~。丁度、コックリきてたら、おじいちゃんに「おいっ、もう子供は寝てるだろう!!早くこっち片付けろよ!!」って言われるから、「まだ寝てないよ~」って言いながら、子供のお尻をつねってわざと泣かせたりしたんだよね~」

おばあちゃん…赤ちゃんかわいそう…


息子は、おばあちゃんが大好きなようで、おばあちゃんが話しかけてくれると愛想良くニコニコしてました。



                  おばあちゃんと雑談中

息子に会って、

「この子の成人した姿が見たいねぇ~」

と言っていた87歳のおばあちゃん。



息子の成人のお祝いには是非、乾杯の音頭をお願いします

2007年11月18日日曜日

紅葉

義母と母と息子と鹿児島見物に出かけた。

わが家のJTBの母の鹿児島の観光案内には、霧島の自然を楽しむコースと、薩摩半島(地図の左側の半島)の指宿(いぶすき)で砂蒸し風呂に入って知覧(ちらん)の武家屋敷と特攻記念館に行くコースと、桜島1周コースがたいがいプランに組まれている。

霧島には義母と私と息子で宿泊する予定があったので、1日目は義母と母で指宿コースを観光した。

砂蒸し風呂とは、温泉大国鹿児島ならではの、海岸の砂が45度くらいになっていて、浴衣を着たまま砂の上に寝そべり、上からも砂をかけてもらい、そのまま波の音を聞きながら待つこと10分。


上がってみると体はポカポカで汗がびっしょり。なんともいえない爽快感に包まれます。


知覧の特攻記念館は、この知覧という土地から、戦時中若い青年が沖縄に向けて特攻隊として飛び立った場所で、飛び立つ前に両親に宛てた最後の手紙などが展示してある

祖母曰くハンカチ3枚は持って行かなければならない位切ない施設です

武家屋敷は、母は何度も行ってるみたいだけど、私は行ったことがないのでコメントは控えます。


2日目は息子と私も参加して桜島コースを回った。

鹿児島市内からフェリーで15分

桜島の大噴火の時に埋もれてしまった鳥居や桜島を正面から綺麗に見れて、鹿児島市内も一望できる展望台など何度行っても気持ちのいい場所です


3日目は義母と息子と霧島へ

丁度紅葉が綺麗でいい見ごろでした



食事や掃除の心配をせずに、ホテルで温泉につかり、あかすりをしてもらい、ちょっと観光に行っては部屋でダラダラと過ごし、なんとも言えない極楽気分でした。


義母がかねてからやりたいと言っていた陶芸に挑戦。

その間、息子は手形足型を取ってもらいました


鹿児島を堪能して帰っていった母を空港で見送り、息子と車で家路に向かう途中、今までおとなしく私達の観光に振り回されていた息子が、義母がいなくなった途端、

息子の反撃が始まった

車の中ならいつまででも寝てるはずが、いくら動いても泣き止まず嗚咽をしながら大泣きしている。

高速の非常停止位置に停まって母乳を与えしばらく遊んでご機嫌が良くなったところでいざ出発!!

3分後

状況はさっきと変わらず‥

車中は息子の鳴き声で何も聞こえない

私は何故か息子に謝りながら運転し、切ないドライブになった

2007年11月14日水曜日

じぃじぃー

息子が生まれて初めて帰省しました。

今回は、仕事で来れない旦那を置いて、義母と息子と三人で飛行機に揺られること1時間45分。
鹿児島空港に着いた途端、南国独特の臭いと空気に包まれ

「久しぶり~」

と酔いしれて浮かれていた私の服に息子は空港でしっかりウンチを飛ばしてくれ、

「おいおい、実家に帰ってきたからって手抜きせずにしっかり俺の面倒見ろよ!!」


と、すっかり浮き足立っていた私に忠告をし、現実に戻してくれました


今回は義母が5日、私は2週間滞在する予定。


まずは、義母にあちこちと観光してもらって、鹿児島の良さをたくさん知って帰ってもらおうと、「わが家のJTB」の母に観光を任せ、あちこち連れて行ってもらうことに。

空港から車に揺られること40分。

まずは実家に着いて驚いたこと

今まで父の趣味のパソコンの荷物でごった返してたリビングが、やっと本来の役目をようやく果たせるように綺麗に片付けられ

「ここがリビングです。ゆっくりしててくださいね」

と、お客さんを通せるスペースになっていた

今までは、どんなに母が家中を綺麗にか片付けてお客さんを迎えてもリビングに入った途端、生活の臭いがぷ~んと漂っていた、がらくた部屋(父だけにとっては大切なもの部屋)が「美しい部屋」に載ってそうなこじゃれた部屋になっていた。

母の努力が伺える。ご苦労様でした。


さて、私は4人姉妹なので、母はもちろん、父も、とっても子供好きで、成人してそれぞれ 独立した娘達にべたべたとしてくるように、息子にも同じようにしてくるのかと思いきや、ちゃっちゃと、少しあやして、すぐに自分の趣味に戻っていってしまいました。


そういえば、母が外出中、まだ赤ちゃんだった妹がウンチをして泣き叫んでいたら、真冬に冷水のシャワーをかけてお尻を洗っていたという話を聞いたことがあった

私の旦那って父に比べたら100倍育児に参加してくれるいい旦那なんだと再認識した



しばらくして、私と義母は荷物を整理で追われていて、母は食事の準備をしていたので、私は父に息子の面倒を見てもらえるよう頼んだ。

「きっと5分ももたないだろうなぁ」


と、心の中で思いながら、急いで荷物を片付けていた。


きゃははは~


私は耳を疑った

息子が大笑いしていた

駆けつけてみると、父が息子をあやしていた。やり方は私達となんら変わらないのに、息子は大爆笑していた






父もおやじギャグをどれだけ飛ばしても「はいはい。」と、皆に軽くあしらわれていたここ数年。


久しぶりにとった大爆笑を心から喜んでいる様子

「よかったねお父さん」

私は、父の久しぶりの功績を称えた








以来、父が話しかけると喜ぶ息子

何が息子のツボにはまったのだろう‥

息子にだけ通じる父のギャグ‥

2007年11月1日木曜日

子供を持って思うこと

先日、友人と電話で話してて思い出したことがあった。

私がニュージーランドにワーホリで行ってた時にお世話になっていた方に、子供についての気持ちを聞いたことがあった。

というのも、当時、私には甥っ子が3人いて、その3人が可愛くて仕方なく、何でもしてあげたい気持ちでいっぱいだった。
よく、コンビニで
「れいちゃん、一生のお願い!!これ買って~」
とせがまれ、箱入りのお菓子をいくつ買ったことか…

甥っ子に貢いだお金は10万は軽くいってるはず

領収書残しておけば良かった


そんな話をしたら、子供を持ってる親は決まって自分の子はその100倍かわいいよ~なんて言うので、甥っ子に対する気持とどうな風に違うのか聞いてみた。

その人の答えは

「異性を好きになって、最初の頃って、胸が踊って、キュンってときめくでしょ?それが、時間と共に消えていくけど。でも、子供に対しては、その、キュンがずーーっと続く感じ」

と、言ってました。

確かに、甥っ子に対しては、いい時はいいけど、機嫌が悪くなったら「はいっ、お母さん」
居てくれたら面白いけど、胸キュンがずーーっと続くことはなかった

でも、自分の子って続いてるんですよね~
毎日、泣いても笑っても
「かわい~~~~」
って、ずーーーっと胸がキュンってしてます。


そして、

風邪を引いて鼻が詰まってる時には鼻水を吸ってあげられるし、ウンチをひっかけられても笑っていられる。

これは、いくら好きで一緒になった旦那でも、とてもじゃないけどしてあげられない(きっと旦那もしてくれない)


夜、咳がひどくて苦しそうなときは可愛そうで涙が出てしまい、喉にたんが詰まってぜーぜー息をしてる時は、喉に詰まって呼吸が止まってないか心配で何度も起きて息をしてるか確認し、苦しいことを出来ることなら代わってあげたいと心から思う。

神田うののお母さんは、「うのが生まれて来てから、今まで自分が欲しいと思ってたものは全て必要じゃなくなった」と言ったらしい。

確かに、今まで大好きだったお酒もタバコも飲み会もカラオケも旅行も、息子ができてからはいらなくなった。私の生活からなくなることが苦痛ではなくなった。

そして、私と旦那を「夫婦」から「家族」にしてくれた

子供1人でここまで自分が変われるとは思わなかった。

自分と旦那の親にも感謝でいっぱいになる。

すごい力を持った不思議な天使ちゃんが舞い降りた

2007年10月22日月曜日

おっ、お義母さま~

最近TVによく


スズメバチの被害!!」

なんて題名で特集を組まれてるのを目にする。


その特集によると、「スズメバチは、集団で襲ってくることもあり、刺されると命にかかわることもあり危険なのでなるべく近づかないように」と、「巣の駆除は専門の業者に委託するように」とのことだった

実際に駆除をする映像を見ただけでも背中がゾクゾクするような恐怖心があった




先日、義母といっしょに夕方のニュースを見ていたとき、またスズメバチの特集が流れた。

「最近、この特集多いんだよねぇ」

と、義母に話したら、

「そうそう、今、時期だからねぇ。うちの駐車場にもいてさぁ。危なかったから取っちゃったよ~」

と、義母

「あっそうなんだぁ。この辺にも駆除する業者がいるんだぁ~」

「何言ってんのよ。自分で取ったのよ」

「マッ、マジですか?何で?」

「何って、ゴミ袋かぶって手で」


あの、時には人の命さえも奪うと言われてるスズメバチの巣をお一人で素手でお取りになったとは…
そんな偉大なお方がこんな近くに住んでらっしゃるなんて…

       義母の手で取り外されたスズメバチの巣

そういえばこの間、我が家では殺してはけないとされている蜘蛛を(「たろべえ」参照)みごとに、バンバン叩いて殺してましたよね??


修行させて頂きます   お義理母様

2007年10月19日金曜日

二割五分

この数字は高いですか??

これは、私が息子におしっこをひっかけられる割合です。

うちの息子ってかなりの飛ばし屋です。

私を含め、旦那、旦那の義母、私の母。
息子のオムツを替えたことのある人は、かなり早い段階で、放尿、もしくは放糞をくらって洗礼を受けます。


息子は

「俺のしっこの勢いなめんなよ!!」

と、言わんばかりに豪快に飛ばしてきます


勢い余って自分の顔にかかることしばし、あせるのは大人だけで本人はこんなスッキリした顔してます


もっとも放尿率が高いのが

1 オムツを開けた瞬間

2 必死におしりを拭いているとき

3 夜中にオムツを替えているとき

1については、私も学習し、何とか回数は減ってきたものの、2と3は相変わらずダントツやられる回数は多い。

2はまだしも、3の時は、びしょびしょに濡れた息子の服を替えながら、私一応大人ですけど泣きたくなります。

そして、そんな大惨事と戦ってることにちっとも気づかずにグーグーいびきをかいて寝てる罪のまったくない旦那を蹴とばしたくなります。

只今、男の子を育てたママに色々とアドバイスを頂き、あの手この手で試行錯誤してます

2007年10月13日土曜日

天使の笑顔と悪魔の叫び

息子も2ヶ月を過ぎ、めまぐるしく成長してます


この頃の赤ちゃんって、体重は1日30gずつ増え、身長は1ヶ月で5センチ近く伸びるらしい。


感情も豊かになってきて、男の子ということもあってか、もともと泣き声の大きい息子は、成長と共に日に日にパワーアップしてきて、泣き出すと足でバタバタし、全身で怒りを表すようになってきた。
そんな中、息子にやられっぱなしの私は、泣く寸前の口がへの字になってる顔がたまらなく好きで、泣きそうになると、すぐには抱かず、息子の顔をじーーーーっと見つめ、への字の口に


キュン


と、胸をときめかせてます。


そして、結果


「おいっ、早く抱っこしろやー。こんにゃろーー!!」


と、こんな顔で泣いてます





最近、特に思うことなんだけど、赤ちゃんの大人を魅了する力ってすごいよな~

息子が「あ~」と声を発しただけでも大人3人が息子の所に駆け寄って、皆で話しかけ、こんな笑顔を見せてくれた日には、一人はカメラを構え、一人はビデオを回し、一人は息子をあやし、次の笑顔のために皆で必死になる。

我が家の一番の団結のときである

この天使の顔があるから、悪魔の叫びも苦ではなくなるんだなぁ。

もしかして…息子は計算済み??

2007年10月12日金曜日

脱!!マタニティーブルー

やっと抜けられました

いやぁ~、私も人並みにマタニティーブルーというものを体験しました。

多分、軽いうつの様なものなんでしょうか?(うつになったことがないから分からないけど…)

これがホルモンバランスのせいだと言われたら、私は何も太刀打ちできずに、
「はい、そうですか」
と、言うしかない。

よく、妊婦の本に対処法として、
1.外に出る
2.家事を一生懸命やり過ぎないで、適度に力を抜く
3.旦那さんにも育児を手伝ってもらう
4.一人で抱え込まないで、誰かに話を聞いてもらう

などと書いてありますが、

私、全てやってますよ!?

旦那は子煩悩で、早朝から夜遅くまで働いているのに、2時間しかない昼休みも帰ってきて息子と遊んでくれます(この間は30分でした)

そして、同じ敷地内に住んでる、これまた子供好きで1日2時間は息子の面倒をみてくれる育児のエキスパートの義母がいます。

そして、先日紹介した息子の友達のお母さん方と
「あーでもない、こーでもない」
と、話をしてスッキリして帰ってくることしばし。

こんな恵まれた環境にいる私ですら、今となってみれば

「あっ、あの頃の私って、マタニティーブルーだったんだぁ」

って思います。


まぁ、一番の被害者は言うまでもない

もちろん旦那です

なんか、訳も分からず、ダダをこねたくなったり、
いつもなら
「あっそう~」
と、笑って流せることに突っかかってみたり。

たまに、悲劇のヒロインになってみたり。

まっ、これもそれも全てはホルモンのせい。

私のせいではないのだから、仕方ないよねぇ~

実家から離れて、周りに知り合いもいない中、子育てしてるお母さんって、いっぱいいるんでしょうねぇ。ホント尊敬します。

息子も最近、夜4時間くらいまとめて寝てくれるようになり、最初に比べると、だいぶ楽になってきました。

何かの本に
「出口のないトンネルはない」
と、書いてありました。
まさにその通り!!

少し明るい光が見えてきた今日この頃です


勝手な結論!!

睡眠不足が人を小さくする

と思いません??

2007年10月10日水曜日

おともだち

子供が少ない!!

と世間で騒がれていますが、我が家の周辺も本当に小さい子も妊婦さんも見かけません。

いつも義母が、夕方になると息子を近所に散歩に連れて行ってくれるので、赤ちゃんのめずらしいこの地域では、息子はちょっとした有名人だ。

先日、私が息子を連れて散歩に出かけたら、小学生の下校時間に遭遇し、
「あっ、私この子知ってるぅ。いつもおばあちゃんとあそこにいるよねぇ」
「うん。私も知ってるぅ」
なんて、私の全然知らない子に囲まれてキャッキャ言われていた。

小学生ならまだしも、先日、天気が良かったので、窓を全開にし、側に息子を寝かせたまま用をたしていた所、息子が突然泣き出し、どうすることも出来ず、そのまま泣かしていたら、あまりにも大声で泣く息子を近所のおばちゃんが心配してあやしにきてくれた。 (赤ちゃんの鳴き声は我が家しかないので…)

そんな近所地域、皆の暖かさに見守られながら育っていく息子は本当に幸せ者だと思う。


でも、近所に同じくらいの子供がいない …

「母ちゃん、○○君の家に行ってくるよ~」

なんて、一人で気軽に行ける距離には私の知る限りではいない。

そのうち、

「僕の親友は、○○さんちのおばちゃん!」

なんてことになりかねない。

幸い、色々な縁で知り合いになった子がいてくれて、
「あーでもない。こーでもない」
と、親同士で育児の話をしながら子供達を遊ばせてる
(と、言っても寝てるだけなんだけどね)

きっと、この子たちが息子の幼馴染になっていくんだろうな

                1ヶ月生まれの早い女の子

          誕生後、同じ病院で苦楽を共にした女の子

           これからも泣くときも笑う時も一緒だよ!! 

            9ヶ月先輩!兄貴よろしく!!

2007年10月2日火曜日

お宮参り

先日、息子のお宮参りをしてきました。


この地域は、一般よりも少し遅めで51日目に行くらしいけど、ちょうどお彼岸に入ってしまったのでずらし、結局、日にちは過ぎてしまいました。

この日のために、私の実家から紋入りの着物を調達していただき、産まれて2ヶ月弱で着物を作らせてしまうなんて…


私なんて31年間1度も着物を作ったことなんてないんですけど…


この子っていったい…


当日は朝から大忙し。

義母に、着物を着るのを手伝ってもらい、母が昔着ていた着物に初めて腕を通しました
久しぶりに着る着物も気持ちがシャンとしていいもんですねぇ。


義母は昔、呉服屋で働いていたこともあり、息子を抱きながらちょいちょいと直してくれるだけで、着物がピシッと綺麗に決まりました。




みんなの支度も終わり、
「さあ、行こうかぁ」
と、義母が息子を抱き、着物を羽織らせた途端、



ブリッ!!ブリブリブリーーー!!


おいっ、息子よ。何故、今、ウンチなんだーーーー!!


スッキリした息子はにやぁ~っとした後、再び深い眠りに陥った。



オムツ替えが済み、気を取り直し近くの神社へ
この神社、確かに家から超近いんですよ
家から見えてるし、歩いて5分だし
門まではね…


今からこの100段近い階段をこの蒸し暑い中、着物を着たまま昇るんだ~っと思ったら失神しそうになりました。

そんな中、着物を着て、息子を抱いて、更にその上に息子の着物まで羽織ってる義母は、ヒョイヒョイと軽々昇り始めた。



さすが、あんな真夏の炎天下の中、1日中外で働ける義母はすごい!!

根性と体力は私たちの比にならない


とても軽量のビデオカメラを持った35歳の旦那と、これまた、とても小さなデジカメを持った31歳の私たちが死にそうな顔でゼイゼイ言いながら昇りきった先には、

あれっ?ヘリコブターで来ました??

と聞きたくなるくらい息子を抱きながらも涼しげな顔をした義母の姿がありました

あっぱれ!!

無事にお参りを終了した私たちは、ホッとした顔で100段近くある階段を下っていくのでありました。

2007年9月25日火曜日

人のいいセールスマン

今日、セールスマンが家に来た。

家は、セールスマンだとか訪問販売の人がめったに来ない。
多分来ても母屋に行ってしまうのか、我が家に来ることは年に数回しかない。

その数回が今日やってきた。

ピ~ンポ~ン

珍しくインターホンがなった

我が家に来る人はほとんどインターホンなんて鳴らさず
トントン
というノックの音と同時に
「いる~?」
と言う声が聞こえてくる。
マンション住まいの長かった私にとって、この訪れ方は、はじめはビックリしたけど、だんだん慣れてきた。
家の中だからといって、おちおち下着姿でなんてウロウロ出来ない

ただ、インターホンがなるということは確実に知らない人か宅配業者という合図になる。

「はぁ~い」

いつもよりチョット高めの声でドアを開けたら、眼鏡屋さんの会社名が胸に刺繍されているポロシャツを着た人の良さそうな人が立っていた。

「あのぉ~、お伺いしたいんですが、目っていいですか?」

「はぁ~~?」

と、思ったけど、最近は特に大人と話す機会の少ない私にとっては、いい気分転換になりそうだった。


 「どうゆうことですか?」

お兄さん 「今、近くの病院で無料で視力検査してるんですけど…」

 「今から行ったら無料でしてくれるんですかぁ。私、産後目がかすむから、視力検査をしたいと思ってたんですよね~」    

お兄さん  「ただ、うちの眼鏡をその場でセールスさせてもらうんですけどいいですか?」

 「はっ?」

お兄さん 「すいません!!うちの眼鏡高いんですよ…」

 「はっ?別に検査の結果目が悪くなかったら買わなくていいんですよねぇ?」

お兄さん 「すいません!!それでもセールスさせてもらうんですよ…」

 「あっそうですか。じゃあ、いいです。」

お兄さん 「あのぉ~、お母さんはいらっしゃいますか?」

 「今、出かけてるみたいなんで、そこの病院でやってること伝えておきますよ」

お兄さん  「あっ、でっ、でも、うちの眼鏡高いんで…。失礼します!!」

いったい、このセールスマンは何しに来たんでしょうか???

ただ高いことをアピールしに来たんですかねぇ??


2007年9月24日月曜日

交通事故

先日、息子と私の1ヶ月検診も済み、出産のお祝いを頂いた方に息子のお披露目を兼ねてお礼を配りに行きました。
久しぶりに病院以外の長い時間の外出で、途中のお宅でお寿司を頂いたり、皆さんとても歓迎してくださり、私たち家族も気分よく大安吉日の息子の初めてのイベントを楽しんでいました。

チョット小雨がちらついていてきたねぇ

なんて話してた次の瞬間、

どーん!!

と言う音とともにすごい衝撃が私たちの車に走りました。

慌てて息子を見ると
一瞬、キョトンとして
「あれ?今、何があったの?」
と言うような表情の後、嵐のような泣き声で怖さを訴えてました。
チャイルドシートを外す私の手が震えててうまく外せず、息子の鳴き声は益々大きくなり、私を更にあせらせた。


私たち一家が乗った車の前の車が右折のため停車し、私たちの車も徐行していて、ほぼ止まった時に、後ろの車にすごい勢いで追突された!!
私は運転席の後ろに乗っていて、息子はその横でチャイルドシートに乗ってたんだけど、ぶつかった反動で息子の首が
ガクッ!!
私の全身から血の気が
サーーーッ

ちょっとーーーー!!

と、私がいう間もなく旦那が車を飛び出し
なんやら後ろの車のおじさんと話しを始めた

「こっちは赤ちゃん乗せてんだよ!!気をつけろよ!!」

私(の心の中)「そうだ、そうだ!!」

相手「すっ、すいません」


(車に積んでる子供パトロール中の紙を見て)「何がパトロール中だ!!どこ見てパトロールしてんだよ!!」

「??」

相手「???」

私(の心の中)「それ…関係ない…」

まぁ、人間、興奮してると、ついうっかり言ってしまうんだよねぇ。

ドンマイ!!


そんなこんなの話をしていたら、だんだん私の腰と首がジ~ンと…

念のため、私と息子は病院に行くことに

私は31年間で初めて乗る救急車にチョット興奮気味。

救急隊のお兄さんに
「どこが痛いですか?一応、心音と血圧測りますね」
と、なんだか、私と息子の体にたくさんの最先端の機械が貼り付けられ
「ここは痛くないですか?」
なんて聞かれると、自分が重病患者になったような気分に陥ってくるのは私だけでしょうか?

多分、私たちの事故現場の前を通った人々は、
「ねぇねぇ、知ってるぅ?さっき、バイパスで事故あったんだよー。生まれたばかりの赤ちゃんとお母さんが救急車で病院に運ばれてた。かわいそうに…」
なんて、話になってることでしょう。

私の体は丈夫だとは思っていたけど、本当に丈夫だったらしい。
骨には何も異常なし!!
むち打ち程度でした。

一応、息子も翌日、旦那が手術した某大病院に検査に行ったけど、異常なし!!

本当にホッとしました。

でも、日に日に腰の痛みは出てきてこの睡眠不足のなか、毎朝病院に通ってます

旦那の初節句には雷が落ちたが、息子の初のイベントには交通事故…

たくましい子になりそうだ

2007年9月14日金曜日

カメラマン

子供の写真撮るのって、本当に難しい!!


「あっ、この表情超かわいい~」

って思っても一瞬で、まさか同じポーズをとってくれるわけもなく、カメラを構えてひたすら待つしかない…。



ベストショットを撮りたいがために、この1ヵ月半、どのくらいの時間をカメラを構えたままの状態で待ち続けただろう…

これ、いいじゃん!!

って思える写真を撮れたのは本当に偶然としか思えないタイミングでやってくる。


なんせ、まず、機嫌よく起きてる時間が短い
そして、まっすぐ上や前を向いてるときがほぼない
それにジッとしてない



これではプロのカメラマンも難しいでしょ~



だいたいこんな顔になってしまう。



デジカメで再生して、いつも
「あれ?うちの子もっとかわいいはずだよねぇ?実物もっとかわいいよね??」
と、旦那と息子を見て確認しあいながら親ばか精神に火がついて、連写の嵐
デジカメのない時代だったら、カメラ屋さんから楽しみに帰ってきて、家で写真を見た瞬間にショックで倒れてしまいそうな写真ばかりだ。
撮って消して、撮って消してを永遠に続けてやっと撮れた1枚がこんな顔!


正面じゃなくてもホワイトバランスが悪くてもこの写真1枚を撮るのに腱鞘炎になるくらいシャッターを押してます…

どうやったらうまく撮れるのかしら???

2007年9月6日木曜日

私を悩ませる男

外は台風の影響で大荒れです。

家は海の近くにあるせいか、台風の影響で雨と風がすごい勢いで来て、本当に家が揺れます。先ほど、2階は、震度3位の揺れを観測しました。

よく、天気予報でカッパ着て壊れた傘さして
「こちら、館山の洲崎に来てます。今、立ってるのがやっとと言う状態です。」
と、レポーターがやってるのを、テレビで見ません??

あれ、カッコいいですよね~。
私のやってみたい職業上位に入ります。


今週1週間、鹿児島の実家から母が来てくれて、本当に助かりました。

「遠くの親戚より近くの他人」
と、言いますが、やっぱり
「近くの他人より、遠くても家族」
と、改めて思いました。

今回、私が病院にかかってしまい、薬をしばらく飲まないといけなくなってしまったので、母乳を一時的にやめて、ミルクを飲ませないといけなくなったので、母には大活躍してもらいました。

今、どこの病院でも母乳育児を薦めてて(と言うか、強制的ですね)、ミルクを足したりするのは1ヶ月検診で先生から指導があった場合からと言うことで、夜中や夕方、明らかに母乳が足りてなくても「とりあえず乳首をくわえさせておけ」みたいな感じで、うちの子、生まれてきた時が大きかったので、私の母乳の量では満足できず、背中を反りながら大声で泣きながら怒ってました。この1ヶ月間、何回涙を流したことか…

こんなに男に振り回されたのは、私の31年間の人生で初めてです…

恐るべし我が子…

でも、1ヶ月の努力の甲斐あって、やっと、十分に母乳が出るようになったぁ~
と喜んでた次の日から私は抗生物質を飲むようになり、ミルクに切り替え、私は、自分で乳を搾って捨ててます…
本当泣きたい…

悲しいことだけでなく、ミルクになったおかげで、皆が授乳できるようになり、ちょっと楽させてもらってます。

「お母さん、お願い!!3時間だけ寝かせて」

とすっかり甘えてました。そして、気分もすっきりして、子育てに少し余裕が持てるようになりました。
本当に母には感謝感激の1週間でした。

でもね、母乳って、いつでもどこでも泣いたら、「はいっ」って乳さえ出せば消毒や作る手間なんていらないけど、ミルクって大変。
私も何度息子に
「てめぇ、手際悪いんだよ!!ちゃんとすぐに飲めるように用意しとけや!」
って言ってるような泣き声であおられたことか…
いやっ、実際に息子は、こう言ってましたよ。


そんな母が明日帰ってしまいます
産後の甘えたぬる~い生活も明日で終わり、息子に泣かされる毎日の幕開けです。

2007年8月18日土曜日

私、頑張りました

無事に出産することが出来ました!!

「母は強し」

という言葉の意味をやっと知ることが出来ました
あんな痛みに耐えられるんなら、そりゃあ強くなるわっ


いやぁ、私、人生で一番頑張ったと思います。

予定日が1週間ほどすぎてしまったので、2日に入院して陣痛促進剤やら使って出産に挑むことになっていたんですが、1日の夕方に陣痛が始まり、23時頃には6分間隔になってたので、旦那とお義母と、「朝方には産まれたらいいね~」

なんて話してたら、そこからが戦いの始まりでした。

陣痛が5分間隔からなかなか進まず、3分になっては5分になりの繰り返しで翌日のお昼には、まだ、子宮口が5センチしか開いてなくて(生まれる時は10センチまで開きます)、睡魔と痛さとの闘いでした。

でも、不思議なもんで、陣痛ってすっごく痛いのに、痛みの波の間って、全然何事もなかったように普通に戻るんだよね~

「えっ?今、この世のものとは思えない声で苦しんでたのって私??」

ってゆうくらいに、普通にギャグとかも言えるし。

そのギャップに旦那も不思議がってました。


その旦那ですが…

看護婦さんに陣痛の間隔を計っておくように言われたんですよね。

まぁ、旦那としても、一応、仕事を与えられ、自分の出来ることをキッチリやろう!!という気持ちだったんでしょう。

出産を経験したことのある方なら分かると思うんですが、陣痛がきたとき、お尻のところの骨を押してもらうと痛みが和らぐんですよね~。まぁ、ホンノ少しなんですけど、マシになるんですよ。

で、陣痛がきそうになると、

「きたきた~。ウ~ッッッ…イタァーーーイ!!」

と、私が苦しみ始めると、旦那にそこをグイ~っと押して欲しいサインなんですよ。

最初は、それで、うまくいってたんですけど、夜を超え、朝を超え、と、やってると、旦那も仕事終わってそのまま来て疲れてるし眠たいしで、意識がモウロウとしてきたのか、私が痛み出したら、

「はい、はいっ」

と、携帯の時計を見だして、時間を律儀にノートに書き出し、

「えっと、5分間隔だね」

なんて報告までしてくれ、

「もぅーー!今はそんなことより早くお尻押してよーー!!!!」

と、私に怒鳴られ、私のお尻をずっと指圧してる親指は、すっかり反り返って自分でマッサージしてました。


そんな戦いの中、陣痛がなかなか強くならない私は、13時頃に破水をさせられ、ずっといきみっ放しで血管が切れそうになりながらも、助産師さんの

「もう少しだよ~。頑張れ!」

という言葉を信じながら、5時間ほど頑張りましたが結局赤ちゃんが降りてこなくて、帝王切開になりました。

助産師サン、あなたのもう少しっていったい何分ですか?

私は、子供じみた質問だと分かりつつも何度この質問をしようと思ったことか…


私、妊娠中、

「○○すると、お産楽だよ~」

と、言われいる、いわば安産になるための言い伝えのようなもの、積極的に取り入れてきたんですよね~


散歩も朝と夕方と1時間近くしてたし、ヨガもやったし、近くの神社の長~い階段も上り下りしてたし、体重も気をつけてたし、雑巾がけもしていたし。

なのに…

なぜ??


迷信は迷信ですね。


結局は体質なんですよ。


でも、まぁ、元気に生まれてきてくれたから、良しですね。


ちなみに、うちの子、3600gありました。

でも、帝王切開で、首にへその緒が巻き付いていたから、最初の3日くらい保育器の入ってたんですよね。

今は、大体、3000gある子は大きいらしく、うちの子は同じ時に生まれた子より一回り大きくて、泣き声もピカイチです。

しかし、我が子はかわいい!!


すでに虜です







2007年8月1日水曜日

ついに‥決戦の日!!

なかなか出てきません‥

予定日を過ぎて1週間

まだまだお腹の中で元気に動き回ってます

ローキックの強さが赤ちゃんの大きさと比例してるようで、最近特に、よくノックアウトを食らいます


予定日が来るまでは、「明日かな?」 「あれ?この痛みはもしや‥」と、体の少しの変化も見逃さないようにドキドキして毎日を過ごしてたけど、予定日を過ぎた辺りから、

「まっ、いつか、そのうち出てくるでしょ!!」

って思うようになった(してる?)けど、全然出てくる気配はない‥



先生の話によると、41週目にしては子宮が硬いらしく、

「お産、時間かかるかもね~」

なんてサラッとやさしく言われ、そして、まんまとビビってます


でも‥

後戻りできないし‥

産むしかないよね‥


で、最近は、こんなことを考えてても、沈むだけなので、図書館に3日に1回のペースで行って本をどっさりと借りてきて、過ごしてます

と言っても、今のこの精神状態で読める本と言ったら軽~くて、面白い本限定!!

と、言ったら、

さくらももこさんです!!

彼女にはかなりお世話になりました

そして、これから妊娠・出産する方にお勧めしたいのが丸山敏秋さんの<「いのち」とつながる喜び>です。なかなか深い本でしたが、出産に対しての恐怖心が軽減された気がします。

お産したらなかなか本をゆっくり読む暇もなくなると聞いたので、ここに来て追い込みをかける様に、3日で5冊ペースで読みまくってます。

でも、そんな日々もあと1日

明日、検診に行って、まだ出てくる気配がないなら、入院することになりました

ドキドキ半分ワクワク半分

いやっ、

ドキドキ80%かなっ?

しばらく更新できないとは思いますが、落ち着いたら子供の写真も一緒にアップしますので、又覗いてくださいね~


2007年7月23日月曜日

那古祭礼

お祭りの季節がやってきましたぁ


館山地区では先週の土曜日を皮切りに9月の半ばまでお祭りやら花火大会やらが各地で行われます。

各地域によって山車にも工夫がこなされていてとても趣があるらしい。

と言うのも、私は、去年は、仕事が一番忙しい時期だったので、一度もこのお祭りを見ることはなかった。(たまたま通りがかって一瞬見たりはしたけど‥)
なので、今年こそは!!と思っていたけど、出産を間近に控え、多分今年は音だけを楽しむことになりそう‥

そういえば、最近、あちこちで太鼓の音がなっていると思っていたら、結構前から皆さん練習をしていたらしく、甥っ子も夕飯後に毎日練習にいってるという話を聞いていた。



昨日、休憩時間に帰宅した旦那にお願いして那古の祭礼に連れて行ってもらった。すぐ近くなんだけど、さすがに一人で行くのはチョット寂しすぎたので、疲れてるところを、お得意の「出産がんばるからぁ~」という約束で連れて行ってもらった。(何回使っただろう‥)



昔はもっと出店も出ていて賑やかだったらしいけど、お祭り気分を味わうには十分なくらいだった。

私は、杏飴が大好きで着いた瞬間に目を光らせた。りんご飴は結構売ってるんだけど、杏飴はここ最近急激にお店が減ってきた気がする‥。最中の上に水飴をつけた杏をのせてあるだけの自分でも簡単に作れそうなものなんだけど、縁日で食べるからまたおいしい!

「あんず飴」ののれんを出してるお店がなく、かなりショックで「今年はもうあんず飴は食べられないのかぁ」と、肩を落として帰ろうとした私の前に「フルーツ飴」と名前を変えたのれんで、あんず飴が並んでいた。

そうだ!!こっちのほうが正しいよね。だって、いっつも、みかんやさくらんぼも一緒に売られてるし!!

1年ぶりに会えたあんず飴をかなりおいしく頂いた。



そして、金魚すくいも十何年かぶりに挑戦してみた。

私、これ、釣れた試がないんだよね。

いかにも生きる気力のなくなって弱って、例えすくい紙の上でも威勢よく跳ねない金魚ちゃんばかりなのに、どうしてこんな簡単に紙は破けてしまうのかと思うくらい水に入れた瞬間に綺麗に穴が開いてしまう。

でも、横で旦那が1匹釣ったのを見てるとなんだか自分にも出来るんじゃないか!?と、言う気持ちでいっぱいになってしまうから不思議である。

1匹でも釣れた旦那は得意げに私に金魚すくいのノウハウを熱く語ってくれた。紙の入れる角度や狙う金魚の特性などをしっかり教わって、

期待に胸を膨らませ、いざ出陣!!



秒殺で終わった‥


おじちゃんにお情けの1匹を頂いて金魚屋さんを後にした。




               縁日の様子




そして、遠くのほうで太鼓の音が聞こえ出した。
山車が動き出した。
中で太鼓を叩いているのは結構小さい子で、大人は山車を引っ張ったり、笛を吹いたりしている。
「きっとこの子達はかなり練習したんだろうなぁ」と胸に響く太鼓の音を聞きながら感動してしまった。
きっと、お腹の中のこの子も山車にあこがれて、この中で太鼓を叩く日がくるんだろうなぁ。
なぁんて想像してたら胸がいっぱいになった。





さて、家に帰って、早速、バケツの中に綺麗な井戸水を入れて2匹の金魚を入れておいた。1日は水槽に入れないほうがいいらしい。

明日になったら我が家の金魚と一緒にしてあげるからね~なんて話したのが最後の言葉になるなんて‥。

朝、起きたら死んでいた。

話には聞いていたけど、本当に縁日の金魚の寿命の短さにビックリした。

縁日の金魚すくい屋を訴えた人がいないのが不思議だ。

2007年7月15日日曜日

SHREK 3

私、shrek好きなんですよねぇ~

基本的に、29歳まであんまりアニメとか見なかったんだけど、ニュージーランドでワーホリに行った時にお世話になっていた家の子供と一緒にトーマスやディズニーの英語版を見ていて、奥さんの
「これって、簡単な単語だし、いい英語の勉強になるんじゃない?」
と言う言葉をきっかけに、映画を辞書片手に(もちろん日本語対応ではないので)、英語を聞きながら英語の字幕を目で追いかけて見るようになった。
もちろん、ハリウッド映画のような大人向けのものは、ストーリーも考えないといけないし、言葉が難しくてついていけないので、子供向けのディズニーやトーマスなどを何度も見た。

帰国して、しばらくはそんなことも忘れていたけど、今回、shrek3が日本で公開されることになって、TVでCMを見ていたら、もう一度ちゃんと(理解できてるのか)見てみたくなって、旦那に話をしたら、限定で出てる1と2の二枚組みのDVDを買おうと言うことになって、急遽インターネットで取り寄せることになった。

旦那が映画が好きで、金曜ロードショーなど、途中からでも食いついて見てるのを知っていたけど、

まっまさか、あなたがアニメ映画を買おう!!と言うとは‥

ちょっとキャラが違う気がした

「もしかして私のために?ありがとう」
と、感動していた私に旦那は、

子供のためにちょっとずつ揃えていこうね」

とやさしく提案した

やっぱり‥ そうですよね

でも届いたDVDを見た私たちは、それからshrekの大ファンになってしまってた。
やっぱりshrekは面白い!!


6月30日からshrek3が公開になって、すーーーーーっごく映画館で見たかったけど、最寄のshrek3がやってる映画館は千葉まで行かないとなくて、臨月の私に片道2時間の道のりは確かにきつい‥。そんなに危険を冒してまではチョット‥ということでDVDを待つしかなかった。

で、この間、マクドナルドに久々に行った。(旦那はマクドナルド好きです)
そこで私たちが目にしたのは‥


なっなんとハッピーセットのおまけがshrek3のキャラクター!!



「私、妊婦だしぃ、マクドナルドってあんまり体に良くないから、やめとくよ~」

なぁーんて言っていたのは5分前のこと。
ハッピーセットのメニューから1つ選ぼうとしたら、なんと期間限定では‥
しかも、第一弾目のキャラクターの終了日まであと2日しかない‥
ドライブスルーのマイクの前で緊急会議を開いた結果、4種類全部買ってしまおうと言うことになり、31歳にして初めてハッピーセットを購入しました。

そして、3日後、私の誕生日が近かったこともあり、どれだけこのキャラクターを揃えたいのかを熱弁し、残りの4つも手に入れた。
そして‥

         ジャーン!!



我が家の一番目に着くところにshrekたちは飾られている。

でも、3日間のうちに二人でハッピーセットを8種類食べないといけなったのは辛かった。

さすがに、しばらく旦那の口から「マクドナルド食べたい」は聞こえてこなそうだ

2007年7月14日土曜日

立会い出産

皆様、立会い出産についてどう思われますか?

この話、かなり賛否両論なんだよね~

私は、呼べる人皆呼んで立ち会って頂きたい。
旦那も両親も姉妹も甥っ子も友達も。
そして、もし、私でよければ学校で流す教材にしていただいてもいい。
もちろん、自分の子供が産まれて、兄弟の出産の際には、絶対に立ち合わせたい。
こんなに命がけで人は産まれてくるんだということをきちんと教えてあげたい。

と、いうことで、私たち夫婦は

もちろん立会い出産

のはずだった。あの日まで‥

今までは、妊娠の本なんか読んでても「今、赤ちゃんの大きさはこの位ですよ~」とか、「こんな機能まで発達してきましたよ~」とか、子供の成長についてだとか、妊娠中毒症に気をつけましょうね~とかそんな感じのものばかりだったけど、出産が近づいてくると、出産の経験談とかお産の進み方だとかそんな話ばかりで(当たり前だけど‥)、なんだか自分に出来るのか不安になったり、「どれだけ痛いの~?鼻からスイカ?」と想像してしまったりして急に怖くなったりして、旦那は最近、そんな話を四六時中私から聞かされていた。

ただ、何故か、恐怖の極限まで想像し終わった私は、急に吹っ切れてしまって、
「まっ、皆してることだし、始まったら時間が解決してくれるよね。」
と、思えるようになって、自分の恐怖心よりも赤ちゃんに会える楽しみのほうが勝って最近はワクワクしてきた。

先日、旦那といつものように子供の話をしていたら、話の合間に急に旦那がすっごく青ざめて顔から血の気が引いていくのを感じた。

「ど、どうしたの?大丈夫?」

私はビックリして旦那に聞いた
完全に違う世界に足を踏み入れそうな勢いだった。

「最近、仕事も忙しいし、夜中に私が何度もトイレに起きてしまって、そのたびに起こしてしまって、よく寝れてないみたいだし、疲れがたまってるんじゃない?」

妻として、旦那の健康を心配した。

「あっ、ごめん。出産シーンを想像したらゾーーーっとしてしまった‥」

えっ?いきなり?

ついさっきまでキャピキャピ子供の話してたよね?

旦那の頭の中の展開の速さと想像だけでそこまで真っ青になる旦那にビックリした。

お義母さんと、その友達にこの話をしたら、絶対に立ち会わせないほうがいいという結論にたどり着いた。余計迷惑がかかると。

確かに。想像できます。
旦那が分娩室で倒れる姿。

私の夢が音を立てて崩れていく瞬間でした

2007年7月9日月曜日

初節句

私の住んでる地域では名字は通用しない。
つまり、名字はあってもなくても同じ存在だ。
親戚でもないのに同じ名字の人が多いからなのかよく分からないけど、
「あの角に住んでる▲▲(名字)です。」
と言っても、
「えっ?誰?」
と言うようなリアクションをよく受ける。

その代わりに「屋号」と言うのがあって、昔からのこの家の呼び方があるらしい。
私も嫁に来るまで屋号と言う存在を知らなかったんだけど、多分、昔、この名前のご先祖様がここに住んでてそのままその名前がこの家の呼び名になたらしい。例えば「平吉さん」とか「助さん」とか、いかにも昔の人の名前だ。

先日も、友人のお母さん(昔、近くに住んでいて、うちとよく交流があったらしい)と食事をしたとき、友人が私を紹介するのに
「▲▲さんの所の人と結婚したんだよ」
と言っても、
「はっ?誰?」
というリアクションでした。
なので
「■■(屋号)です」
と言ったら、
「なぁ~んだ、■■さんかぁ」
と、一発で話がつながった。

さすが、昔からの知り合いだけあってうちの色々な話を知っていた。
お義母さんはどこから嫁に来たかとか、お義父さんは働き者だったとか、おばあちゃんはどんな人だったとか。
さすが田舎だ
探偵一人雇うよりも地元の人一人と知り合いになったほうが情報量がはるかに多いと思う。

そして、旦那の初節句の話になった。
そのおばちゃんの話によると‥

旦那が生まれた時、旦那のおばあちゃんは、跡取り生まれたと喜びました。おばあさんは、よっぽど男の子が生まれたのが嬉しかったんでしょう。
旦那の初節句のとき、張り切って、近所の大工さんに頼んで、大きい鯉のぼりを作りました。一番上には大きな金の玉をつけ、この地域ではどこから見ても、うちの鯉のぼりが気持ちよさそうに泳いでるのが分かるくらいそれはそれは大きいものでした。。(大工さんに頼むくらいだからかなりの大きさだったと思う‥)
ある雨の日、友人のおばちゃんが近くのスーパーで買い物をしてる時のこと、大きな雷がゴロゴロとなり始めたと思ったら、いきなり
「ドーーーーーン!!」
と、大きな音とともに地震のような地響きがしました。
おばちゃんがビックリして急いで家に帰ると、辺り一帯は停電になり、近くの家の人のテレビからは火が出る始末。東京電力の人が来るまでのしばらくの間、ずっと電気は復旧しないまま。
その後の調べによると、どうやら、うちの鯉のぼりの大きな金の玉に雷が直撃して近くの家一帯が停電になってしまったらしい。
きっと旦那の初節句の幕開けを祝ってくれてたんだ!!

縁起がいいんだか悪いんだか‥
それ以来、その鯉のぼりが気持ちよく館山の空の下で泳ぐことはなかった‥
初節句を待たずに倉庫に眠ってしまった

そういえば、旦那が
「子供が産まれたら、あの鯉のぼり直そうかぁ」
と、お義母さんと話していたときがあった。


すみません‥
微妙です‥

2007年7月7日土曜日

マタニティーライフ

もうすぐ出産!!

となると、私の妊婦生活もあとわずか。
この大きいお腹ともおさらば(になるはず…)

思えば、この9ヶ月は本当にあっという間だったし、私の人生を大きく変えてくれたし、私たち夫婦にとってこの子の存在はかなり大きかった。

妊娠初期の頃、仕事中は大丈夫なのに、家に帰ってくるとつわりが出た。そして、よく旦那に御飯を作ってもらった。

毎日、「何が食べたい?」と、風邪をひいて学校を休んでる子供のように食べたいものを聞かれ、好きなものばかりを食べさせていただいた。

そして、何故か旦那と喧嘩をするとつわりが出て、私の「オエェェェ~ッ」というトイレへの駆け込みで喧嘩が終了し、旦那がいたわってくれた。

重いものは持たずに、家事もホドホド、無理は禁物でのんびりと過ごさせて頂いた。

そして妊婦は人気がある!!

全然知らない人から、
「予定日はいつなの~?」
と聞かれ、お腹をすりすりさすってもらえる。

今までもこれからもこんなに人に自分の体を触られることはないだろう

先日もスーパーで、
「この中に赤ちゃんがいるの~?見せて~」
と、遠くからわざわざ子供が走ってきて聞かれた。

多分、一生一般庶民の私は、人からこんなに注目を浴びる時期はもう二度と来ないと思う。

こんなに王女様のような扱いを9ヶ月も続けてきた私が、あと数週間以内には親になり、立場が一変して下部のごとく赤ちゃんに尽くすようになる。

きっと旦那をはじめ周りの皆様には私は黒子のような存在になり、赤ちゃんしか目に入らなくなるんだろうなぁ…。

という話を先日旦那にしたら
「そんなことないよぉ~、大丈夫だって~」
と、言っている旦那の手は赤ちゃんをさすってるし目じりは下がりっぱなし。今の時点でもう赤ちゃんに夢中である。
こんな話を聞いた私が悪かった。

残念だけど、この9ヶ月が夢だったんだ 。現実を見よう。

はい、尽くさせていただきます。王子様!!

2007年7月2日月曜日

予定日

もうすぐ妊娠37週に入る。

私も、妊娠するまで知らなかったんだけど、妊娠期間は、最終の生理が始まった日から40週間目が一応出産予定日として計算される。要は280日だ。
まぁ、いつの排卵の日に受精したかなんて分からないし、一応の目安としてのあくまでも予定日とされて、実際に、予定日ぴったりに子供が産まれたという話は私の周りの人一人もいない。
だから、予定日の前3週間と後2週間は満期日とされて、その間はいつ生まれてきてもおかしくない期間とされている。
ということは、つまり、
予定日の前後1ヶ月と1週間が、予定日である。

なんか、すっごく大ざっぱじゃない??

先日、知り合いの子が私の通ってる病院で出産した。
25歳の子で私よりも5歳若く、妊娠してから体重は5キロしか増えてなくい。体重管理がしっかりされていてとっても優秀だ。
きっととても安産だったんだろうと思っていた。

その子のお見舞いにいったら、
あ~ら、なんてかわいい女の子
体重は3200g
標準だ。

でも…
出産予定日よりも10日遅れて、入院して陣痛誘発剤を使って、陣痛が来てからなんと1日半かかったらしい…。
途中で風船や器具を使って産道を開かせたり、あの手この手で先生も結構大変だったらしい。

そんな話を聞いたらなんだが怖くなってきた…
この時点で12㌔近く太ってしまって30歳に私はどうなるんだろう…

多分だよ。まだ未知の世界だからわかんないけど
きっと始まってしまえば、きっと終わりはあると信じて
「早く出て来い!!おりゃ~っ!!」
って感じで必死になるんだけど、この、微妙にお腹がキューって痛くなってきて
「あれっ?なんか、これが続くのかな?もしかして…!?」
って思っては消えての繰り返しで、
私、完全に
「オラオラ~何ビビってんだよ~。出てやろっかなぁ~、やっぱやーめた!」
って子供に遊ばれてるような気がする…

どうか優秀な産婦人科医の皆様、予定日をせめて3日以内に絞れるよう研究をお願いいたします!!

2007年6月25日月曜日

たろべえ

私は他人と住むことに慣れている方だと思う。

初めての就職先では同期の子と寮に3年くらい住んでたし、ニュージーランドにいるときは、ホームステイをしたり、人の家に住み込んで家事のお手伝いをしたり、現地の人と間借り(ルームシェアー)をしたりしていたし、日本に帰国してからも、職場の子と一緒にアパートに住んでいたし。
だから、多少癖がある人でも、別に驚かずに騒ぎ立てずに「ふ~ん、それも個性だしね」と言うように特に気にせずに人と暮らせるようになっていくもんだ。

そして、人と暮らした分だけ、色々なルールが生まれる

暗黙の了解のものから、何か起きてから決めたことなど、家庭それぞれ、人それぞれのお家の中でのルールが自然と生まれてくる。が、そんなことも当たり前だし、そんなにビックリするようなルールも今までなかった。

でも、我が家のルールの中に他人に「えっ?」と聞き返されるものがある。

我が家では絶対に絶対にしてはいけないことである

それは…

「蜘蛛を殺してはいけない」

である

館山は蜘蛛がすごく多い。

一軒家だからなのか館山だからなのか良く分からないけど、我が家には大きいものから小さいものまで本当によく蜘蛛が訪れる。蜘蛛を見ない一日はないのではないかと言うくらい毎日蜘蛛を見る。寒くて家の中をきっちり締め切っていてもどこから入ってくるのか絶対に家の中に1匹はいるくらいだ。

まだ、旦那と暮らし始めてすぐの頃、家に蜘蛛がいたので私は殺虫剤でシューッと吹きかけた。
蜘蛛を殺すことなんて私にしたら蚊やゴキブリを殺すのと同じような感覚だった。

そんな私の行動を見て、旦那は、いきなり

殺すなーー!!

と言って、私から殺虫剤を奪った。

私はビックリして倒れそうになった。
今まで虫を殺虫剤を使って退治しようとしている私を止めに入られたことは30年間の人生で1度もなかったので衝撃だった。

旦那の言い分によると、昔話に「蜘蛛の糸」というのがあるらしい。

生きてるときにあまりいい行いをしなかった人が地獄に落とされたんだけど、生前、唯一良い行いとして、「どんな小さな蜘蛛でも命あるものなんだ」と、小さな蜘蛛を助けたので、地獄に落とされたその人を蜘蛛が糸を垂らして助けたらしい。(結局は地獄に落とされてしまう話なんだけど)

だから(?)蜘蛛が我が家で見つかっても絶対に殺さない。

直径(足も入れて)5センチ以内なら旦那は手で掴んでシャカシャカと振りながら(蜘蛛が手の中に入ってることを確認しながら)、外に捨てに行く。
5センチを超えたものは息を吹きかけながら一番近い出口まで誘導することになっている。

そして、何故か「蜘蛛」とは呼ばずに
「たろべえ」
と名付けられている。

他にこんなに蜘蛛に対してやさしい家庭はあるのかというくらい、我が家に入ってきた蜘蛛はラッキーだと思う。


でもさ~、その話、たまたま蜘蛛が題材にされてるけど、もし、蜘蛛がゴキブリだったら同じ対応をしてあげるのかしら??

2007年6月15日金曜日

親心

昨日は10日ぶりの検診だった。

前にも書いたけど、私の行っている病院は、体重管理が徹底されていて、うっかり油断して1週間に500g以上増えると注意を受ける。
なので、私は、検診の前の日はいつもより長く散歩をして、晩御飯を控えめにし、朝ごはんを抜いて、午前中の診察時間ギリギリの11時半に病院に行っている。

それでもやっぱり体重は着々と増えて行っている。

今の時点で(9ヶ月半)10Kg、

この10日で1.5Kg増えた

検診の前の体重測定が一番心臓と胎児に悪い気がする…
案の定、ついに私のカルテに赤ペンで印が付けられた

そして、いつものように先生はエコーで赤ちゃんの頭囲や背骨の長さ、足の長さを測り始めた。(これで予想の体重も出るらしい)

「あれ?お母さんの体重は増えてるのに赤ちゃんは全然増えてないねぇ」

先生の話によると、体の大きさが2週間前の平均値らしい。
体重も平均よりも200gくらい少ないらしい。

なんで??私はこんなに増えたのに…

帰りの車の中ですっごく心配になった。
どうしよう…どうしよう…
頭の中でグルグル回っていた。

前に、検診のときに先生がエコーで顔を見ながら
「お鼻の大きい子だねぇ」
と言ってた事を旦那に伝えたら
「どんだけ鼻が大きいのかなぁ」
と何回も私に聞いてきた。
私は

「大丈夫、大丈夫!そんな異常があったら先生もそんな言い方しないって~」

なんて言っていたけど、今日は心配でたまらない。

家に帰っても私のテンションは究極に落ちていった。

私がもっとカルシウム取らないから骨が育たないのかなぁ?
毎日牛乳飲まないからかなぁ?
散歩しすぎるからかなぁ?
どうしよう…

私の妄想族はどこまででも突っ走って行った。

旦那から
「心配しなくても大丈夫だよ。小さくても大きくても産まれて来た子を一生懸命育てるだけだよ」
と言ってもらって、どうにか族は減速を始めた。

そして、赤ちゃんが

ドンドンドン

と元気良く蹴飛ばした。

「お前、いつまでウジウジしてんだよ!!」

というようなお叱りを頂いた。

なんか、笑えて来た。

私が産まれてくるときも、きっと両親は色々なことで心配をしてくれたんだろうなぁと思ったら、なんだか、今までの悪態を色々と反省をした。

そして、私も、いつか、この子に振り回される日がくるんだろうなぁと思った。
こうして時代はグルグル回っていくんだろうなぁ。

どうか元気な子が生まれてきますように…

2007年6月12日火曜日

B型の男性

私は、男性とお付き合いをする前、必ずと言っていい程血液型を聞いていた。

そして、どれだけ、テンションUP↑UP↑になって、その人との運命を感じても、
B型
と聞いた瞬間に、私の恋愛リストから自動的に抹消されるくらい私にはB型の男性とは合わないと思っていた。
今まで、B型の男性と付き合っても実際に3ヶ月の壁を乗り越えられた例がなかったし、決していい想い出もなかったので、更に、私の中のジンクス
「B型の男の人とは合わない」
論が確実なものになっていった。

こんなに思ってたのに、実際、結婚した相手は
B型
今では、
血液型なんて関係ないよぉ~
なんて言ってます。

でも、旦那との性格の違いを感じることは結構あります。

例えば、先日、釣りに行ったとき、
私は、釣れた時のビクビクッってゆう感触が魚との駆け引きであって釣れるまでの過程が釣りの面白いところだ!!と思うので、常に竿を持って、ゆーーーっくりでも動かして、魚との対立のチャンスを伺ってる(なんせ、せっかちなもんで…)のに対して、旦那は、結果が全てという様に、何本か竿を置いて竿の先に鈴を付けて、ぼーーーっとして、鈴がリンリン鳴ったら
「あっ、かかった、かかった」
と重い腰を上げてリールを巻くというスタイルである。



私は、いつも
「そんなん、テクニックも何もないじゃん」
って思いながらも、そんなやり方でバンバン釣られると、せっせとリールを撒き、ポイントを探し、餌を替えとやってる自分がむなしくなる。
でも、決して旦那スタイルでは私は釣りは出来ない。

そして、私が、一番、旦那にB型を感じるところは、自分が好きなものに関しては努力を惜しまないし、飽きがこない。自分が納得するまで極めたくなるらしい(納得するレベルが私とは全然違う…)仕事にしても趣味にしても好きなことを始めるとずーーーーっとそれに集中してしまい、自分の世界にどっぷりと漬かってしまう。
O型の私は、

これ、楽しいよね~

でも明日はこれがしたいなぁ~

なぁーんて、思ったことをすぐに口にしてしまうので、黙々とひとつのことを集中して極めることが苦手である。
旦那といると自分がどれだけ

まぁ、いっかぁ~

を口癖に生きてきたかを目の当たりにする。
でも、そんな自分が大好きだから仕方ない。

でも、生まれてくる子が男の子なら
まぁいっか~
の人生ではなく、出来れば旦那の妥協しないところを受け継いで欲しい。

さ~て、どっちに似てくるか楽しみ~

        <昨日の釣りの収穫>



           海ヘビちゃんで~す

2007年6月8日金曜日

ミシン大好き!!

3月に仕事を辞めて専業主婦になった私は、とっても暇をしていた。
妊娠が発覚した当初、私は出産ギリギリまで働こうと思っていた。でも、配膳の仕事は妊婦には少々きつく、朝食の時には4時半に起きないといけない不規則な生活にはちょっと限界を感じていたし、何よりそんな不規則な生活が妊婦や胎児に良いわけもなく、旦那にはもちろん許してもらえず、ごねてごねてなんとか6ヶ月まで働いた。

どうして私が仕事をしていたかったかと言うと、単に近くに友達がいないから暇な時間をどうすごして良いのか分からなかったからだ。

そういえば、いつまで働くのかを旦那と話してるとき、旦那は私にたしか

「分かった。そんなに友達欲しいなら3月までに俺が友達見つけてやるよ!」

とまで言っていた。

どうやって??

今でも謎です。
もちろん、そんな約束守られてません。


そんな中、お義母さん(同じ敷地内に住んでます)が、
「これから、子供が産まれたら何かと使うでしょ」
と、私にミシンをプレゼントしてくれた。

その日から、私はミシンの虜になった。
毎日ミシンがやりたくてやりたくて今までダラダラ過ごしていた午前中に、ぱぱぱっと家事を済ませ、時間の許す限りミシンの前に座った。
館山のジャスコが新装のため閉店中は鴨川のジャスコまで布を買いに行った。

      その作品集がこれです
(警察の押収物のような写真になってしまったけど…)

気づいたらほとんど子供のものばかりだけど…
いやぁ、こんなにハマルとは思わなかった。
多少縫い目が曲がっても見た目が悪くても自分の物だし、
「まぁいっか~」
で全ては片付いてしまうため、あんまりいい作品には仕上がらないけど。

型を取るのに図書館で本を借りてるんですが、やっぱり、
女の子のものばかりじゃ~ん

いやぁ、しかも、かわいいよ。やっぱり女の子の服は

まっ、そんな上級者向けの服なんてとうてい先の話なんだけどね。







2007年6月7日木曜日

大手術!?

先日、旦那が手術をした


事の発端は、さかのぼる事3月の中旬、旦那の背中にあるホクロを私が発見した。今までなかった場所にいきなり1センチくらいの大きさの真っ黒く浮き上がったホクロができてて、その周りが赤く内出血してるような感じになっていた。

たまたま私たちの結婚式で来ていた姉に話したら、


「いきなり出来るホクロは危ないんだよー」


と言われ、すぐに近くの病院に行った。
(ここの先生がまたすごくいい先生なんだよね。話がすごく長いんだけど…)


旦那の背中を診察した先生が、


「次の休みはいつだ?いい先生がいるから紹介状を書くからすぐに大きい病院で検査をしなさい」

と言ってきた。


うちの旦那はシフトで働いているので次の休みはシフトを見ないと分からない。職場も休憩時間で誰もいなかったので、車で往復40分の道のりを旦那はシフトを取りに帰った。


「これから子供が産まれるのに、いきなりそんなっ。先生、何とかしてください!!」


と言いたくなるような雰囲気だった。
とりあえず、一番近い休みに鴨川にある某大病院に行くことが決まった。


         鴨川の大病院



当日、先生の空いてる時間で診察をしてもらうことになっていた私たちは、大人気のその先生に空き時間などなく3時間ほど待たされての診察になった。

研修生を引き連れて診察する先生を、どんな大先生かと想像してた私は、実際に会ってみて、気さくで温厚な先生に親しみを勝手に感じた。

紹介状に目を通し、旦那のホクロを診察した先生は、小さな顕微鏡のようなものを取り出して、私にも見せてくれた。

「あ~、これは大丈夫。99%良性だよ。これねぇ、よく癌と間違えるんだよねぇ。肉眼だと癌と同じ形してるからさぁ。まぁ、念のため取っておきましょう。これねぇ、癌だったら余命3ヶ月だったよ。よかったねぇ」

ホーーーーーッとした

さすが鴨川のブラックジャック様。ありがとうございます

と拝みたくなるくらいだった。待ち時間の3時間なんて忘れちゃう!!



人生で初めての手術の当日、旦那はなぜか気合が入っていた。

「あの白いシャツどこいったっけ!?」

と、クリーニングから返ってきた白いシャツ(私の両親に挨拶に行くときなどに活躍したお気に入りの一枚)を取り出しビシッと決めていた。

「あのぉ~、そんなに着飾ってどこに行かれるんですか?」

ジーパン姿で出かけようとしている私とは全然つりあわなかった。

「一応さっ、手術だしちゃんとしてかないとね」


「でもさぁ、先生15分くらいで終わるっていってたよねぇ?」

私の声は旦那には届かなかった…


案の定、手術と言っても診察室のベットの上で行われた。
私もせっかくなので同席させていただいた。

麻酔をかける直前、旦那は先生に

「手術って結構痛みますか??」

と聞いていた。

「えっ?!いまさら??あのねぇ、例えどんだけ痛いとしても、あなたはもうまな板の上の鯉だってば。」
と私は喉まで出かかった。

「7歳以上なら受けられる手術だから大丈夫じゃないかな?」

ブラックジャックは優しく答えた。

ホッとした旦那は身を預けた。

ブラックジャックは、研修生に説明しながら旦那の背中のホクロの周りの肉2センチ四方をサクサク切り取って見事な手つきでスイスイと縫っていった。
私にも出来るんじゃないかな?と思わせるくらいあっという間に簡単に終わらせた。

鴨川にブラックジャックがいる限り、どんな皮膚病になっても怖くないね。とブラックジャックのすごさを語りながら私たち夫婦は館山へと帰っていった。


そして、2週間後、抜糸のため再度ブラックジャックのもとへ訪れ、検査の結果、やっぱり良性だった。

こうして旦那の大手術は無事成功に終わった。
痛みにかなり弱い旦那にしては、かなりの挑戦だった。お疲れ様でした。
  
  
     まるでホテルにいるよな病院からの景色

2007年6月4日月曜日

マタニティーヨガ

私の姉妹は出産を機に大変身している。

それは…

体重の増加

です。


姉は、昔、中山美穂に似てると言われ、父のラグビーの合宿で行った菅平で雑誌の記者にモデルをスカウトされたくらい結構なベッピンさんだった。

妹も高校時代、階段の下からパンツが確実に見えるくらいスカートを短くしていたちょっとしたコギャルだった。いつも眉毛をきれいに整えていて彼女の高校時代は机に向かってるよりも鏡を見て眉毛を抜いている印象しかない位、いつも綺麗にしていた。決して二人とも細くはなかったけど、ぱっと見かわいい部類に入っていた。


しかし、この二人が出産を機に20キロも30キロも体重が増えた。


産後に初めて会ったとき、申し訳ないけど、「おめでとう」の前に

「太ったね…」

としか言葉が出てこなかった。


案の定、産後、元の体重に戻すのに相当な時間がかかった。

いや、産後6,7年経つけれど、多分、まだ戻ってないと思う。


体重の増加がどれだけ人を変えるのかを目の当たりにした私は、自分も太りやすい体質を持ってるんだとゆう自覚を抱えながら体重管理には気をつけている。


1日2回、朝と夕方に小1時間の散歩をしたりマタニティーヨガをしたりしている。



このマタニティーヨガはすごくいい。家でできる手軽さと、体に負担がない割にはストレッチをしてるように体のコリが取れたような感じでスッキリする。


基本的に食べるのが大好きなので、我慢できない分、動いてカロリーを消費するようにしている。


でもね、最近、どうしても体重が増えつつある。

赤ちゃんの分だとしても増えすぎてきてる…。


とくに、私の行ってる病院は、体重を増やさないように毎回厳しくチェックされる。

私の姉妹の話をしたら、

「あー、大丈夫、大丈夫。うちは、そこまで増える前に入院してもらうから」

と、さらっと言われてしまった。


入院だけは免れるよう、今から散歩に行ってきます。


2007年6月2日土曜日

変わりゆく館山

最近、館山が熱い!!

というのも、待ちに待ったジャスコがOPENした。

改装前のジャスコは2階建ての田舎にありそうな感じのお店だった
改装後はというと…

ロックシティーというオッシャレーなショッピングモ-ル

に生まれ変わった。

いままでのジャスコのイメージとは異なってジャスコと70もの専門店街が連なるモールである。

もちろん、開店の日に行ってきた。


ここって人口5万人しかいない館山だよね!?


と聞きたくなるくらいの大きさとお店の数だった。
今まで千葉まで行かないと買えなかったようなものもいっぱい並んでいた。
都会チックでビックリした。

それと、7月4日に館山道が開通する。
今までは千葉から館山まで2時間近くかかっていたのが1時間弱で来れるようになる。

しかも、ちょっとしたアミューズメントパークを作る計画も進行中らしい。

ねっ??館山が熱いでしょ?!

でもね、この町、人口5万人なの…大丈夫かしら!?

いくら新しい物ができても館山と言えば

やっぱり海でしょ!!

6月の海開きに向けてこんな準備始まってます。


3ヶ月間の海の家の建設中

夏が来たーーーって感じる瞬間です


2007年5月26日土曜日

こんなん釣れちゃいました

私たち夫婦は最近釣りにはまっている。

私は釣りが大好きで、あの、魚がつついた時に竿から伝わってくる「ククッ」という感触が何とも言えない。
でも、結婚するまで一緒に釣りに行った事も二人の会話に釣りの話が出たことも記憶にない。

最近、私がなんとなく「暖かくなってきたから釣りでも行きたいなぁ~」って話をしたら、「じゃあ行こう!!」ということになった。

幸運なことに館山には釣りスポットが沢山ある。
そして、釣れるポイントまで手漕ぎボートで連れて行ってくれる商売もある。ボートで釣りなんてしたことがなかったので、とても興味津々。料金は朝の6時から12時頃までできて、二人で4千円。釣り師としては全然惜しくない値段だ。


さて、早起きをして、飲み物と軽食を用意して準備万端でボートに乗り込んだ。天気は晴天。ボートで引っ張られて5分ほどでポイントのついた。

「じゃあ、9時くらいに一度様子見に来ますから、もし、トイレとかあったらその時言って下さい」

と言ってお兄さんは岸に戻っていった。


早速、仕掛けを作って投げ込んでみた。
すると、すぐにククッと言う感触が来た。さすがポイントだ。すぐに2匹一緒にかかった。旦那の竿にもかかった。大きさも岸で釣るよりもだいぶ大きい

こんなん4千円なんてあっという間に元取れちゃうね~ ルンルン!!

な~んて話しながら餌を付け替えていたらボートがグラッと揺れた。さすがに手漕ぎボートだから波のゆれが直に来る

餌を付けて投げて次の魚を待つまでの3分の間に私の容態は急変した

きっ、気もち悪い…

そう思ったら最後だった。

それからは嘔吐が続きわずか15分ほどで旦那の漕ぐボートで岸まで戻ってきた。

あの行くときのさわやかさと期待を一気に失って…

やっぱり妊婦には無謀すぎたと反省。1匹1333円のキスを天ぷらにしておいしく頂きました。



後日、又別の場所で今度は穴子といわしと再びキスを釣りに行った。もちろん岸から。時間が良かったのか大漁で二人ともルンルンだった

目の前に餌を撒いていていたので魚が寄ってきて私たちは更に興奮していた

うわぁ~でっかいのが集まってきたよ~急げ急げ~

痛いっ!!




私、旦那に釣られちゃいました…  ウフッ!!


さてさて、だいぶキスの天ぷらにも飽きてきたので、今日はこんな感じにしてみました。

   THE お座敷天ぷら~






キスと言えば天ぷらしか思い浮かばない…

でも、雰囲気を変えると又違った味に思えるのが不思議
後処理は大変だけどね…

2007年5月25日金曜日

魔法の手

今日は、検診で2週間ぶりに病院に行ってきた。

私は、館山で出産する予定なので家から15分ほどの昔からある近くの本当にアットホームな産婦人科で出産する予定だ。

どのくらいアットホームかというと、私が5ヶ月の時、食あたりになり、姉が子供(3ヶ月)をつれてタクシーで病院に行ったとき、検診から点滴中もそして帰りのタクシーを待ってる間もずーーーーーっと1人の看護婦さんが私と姉に付きっ切りで色々な話(ほとんど姉と話していたけど)をしてくれているくらい、1歩間違えれば、「この病院人が余ってるのかな??」と誤解されそうなくらいとっても親切な病院だ。

でも、院長先生と話しているとこの病院が、どうししてこんなにアットホームでのんびりしているのかが分かるくらいとってもいい先生だ。

さてさて、うちの子はというと、今日検診に行ってきたら、
       
 逆子でした

しかも、これで、2回目だ。

前回同様、院長先生が電話で呼ばれ登場した。(いつもは娘さん先生に診てもらっているので)
エコーで逆子を確認した後、

「はい。力抜いて~」

と言われ、

グイーーーーーッ!!

と上から押されて子供を上から回してるような感じだ。
「はい。力抜いてよ~」
と言われるけど、あまりの痛さに私の額に汗がにじんできた。

「せっ、せんせい、この痛さ、力抜けません… 」

思わず口に出しそうになったとき、

「はいっ。終わりー」

エコーを見たら、逆子が戻ってる~!!

これぞ魔法の手!!

先生いわく、逆子体操とかあるけどあんまり効かないらしい。これが一番いい方法だとか。

いやーしかし戻ってよかったよかった~。帝王切開することを考えるとこのくらいの痛み耐えないとね。

そして、家に帰ってきて6時間が経過。
あの処置の後すぐは胃の下を元気良く蹴っていた。
うん。確かにいつもと蹴っている場所が違った感がした。
逆子が直ってる感もした。

でも…

今、元気良く蹴ってる場所は下腹部…。

確実に戻ってしまった気がする…

残ったのはお腹の張りだけ…

今からこの子の我の強さを証明されてる気がする…。

2007年5月21日月曜日

なつかしの味

私は、ラーメンが大好きです。

ラーメン屋で食べるラーメンも、インスタントラーメンも大好きです。

自分は、妊婦だって分かっていながら、あんまり良くないって分かっていながらこれだけは止められません。



この前、旦那とスーパーに買い物に行ったら、九州フェアーをやっていた。

父の田舎が鹿児島で私も3年前まで2年間住んでいたので、九州のフェアーをやってるとついつい足をとめたくなる。

だって~九州の食べ物っておいしいんだも~ん。

私に鹿児島の血が流れているからか、単純に九州の味がおいしいからなのか分からないけど、本当に九州にはおいしいものが沢山ある。

その中のダントツ1位はなんと言っても

     とんこつラーメン!!!

今までの30年間、色々なラーメンを食べたけど、とんこつラーメンに勝るものはない!!と私は思っている。


そして、私がスーパーで見つけて飛びついたものは…


うまかっちゃんです!!

これ、これっ。こっちにはあんまり売ってないんだよね~。しかも館山には。


父は台所に立たない人でしたが、唯一土曜日の昼には台所で卵を落として少しやわらかめの麺で仕上げるうまかっちゃんを作っている父の姿が見れる瞬間でした。


私の「親父の味」の代表作といっても過言ではない一品の紹介でした。

2007年5月20日日曜日

ホームベーカリの作り方

昨日、パンを作ったり、散歩を長めにしてしまったせいか、昨日の夜からお腹の張りがすごくて、息苦しい。
最近動き回ってたから、さすがにうちの子も疲れのピークにきてしまったのか…。
今日は久しぶりにダラダラと寝転んで、昼寝して、食べて、そして又寝てという時間をすごした。


ということで特に書くことがないので、昨日ブログに書いた食パンの作り方を紹介します。


まず、材料を準備します。


・強力粉(ふるっておく) 350g ・ドライイースト  6g ・砂糖  18g ・塩7g

・スキムミルク  7g ・ぬるま湯(35~40℃くらい)  230g

・ショートニング(私はバターを使ってます) 18g


・食パンの型(1500円くらいで売ってます) ショートニングを塗っておく  ・大きめのボウル

  Point まず、材料を正確に量る



ドライイースト、砂糖、塩、スキムミルクにぬるま湯を入れて溶かし混ざったら強力粉、ショートニングの順に入れて、

        せっせとこねる・こねる・こねる



 Point 手のひらの付け根あたりを使って体重をかけて円を描くようにこねる
表面はなめらかで伸ばすと向こう側が透けて見えるくらいまで




そして、生地を丸めて大きめのボウルに入れてラップをかけてオーブンで40分発酵させる

 Point  こんな感じに生地が1.5倍位にに膨みます





――――→







発酵したら2つに分けてそれぞれを丸めて濡れた布きんをかけて室温で25分休ませる。


25分したら、少し又膨らむので、表面をたたいてつぶして手に乗せて生地を下から上へ包むように丸めて目をつまんでしっかり閉じて型に入れてオーブンで仕上げ発酵させる
                 

      Point 濡れた布きんを忘れずかける

仕上げ発酵60分

――――→






200℃にあたためたオーブンで30分焼く

きっと焼きたてを食べた瞬間、今までの苦労が吹っ飛ぶでしょう!!
            
       お試しあ~れ~

2007年5月19日土曜日

ホームベーカリー


最近パンを家で作るようになった。

というのも、仕事をやめて、専業主婦になっってから家にずっといて、何をするわけでもなくテレビを見る生活にもすぐに飽き、甥っ子に借りた任天堂のDSのスーパーマリオも5日でクリアしてしまい(1日中やってるからね~)、何より一生懸命働いて疲れて帰ってくる旦那を見ていると、家で一日中テレビを見たりDSをしたりしてることにすごく罪悪感を感じ、そして、今日もゲームをして1日が終わってしまった…という自分がむなしく感じた。


うちの旦那は調理師なので、料理に関しての本は本棚に入りきらないくらいある。和・洋・中どれでも、専門職の本から主婦向けの本までこんな感じに↓↓↓


で、パラパラと見ていたら、パン作りの本を発見!!

   そういえば、昔、お母さん作ってくれたよなぁ~

なんて思い出しながら中を見てみたら


   あれっ?結構簡単??私にも作れるかも!?


私、食パン好きなの~。ダブルソフトとかフワフワの食パンが。

そういえば、ニュージーにいる頃、オーペア(住み込みで子供の面倒見たり、家の手伝いしたりする代わりに住む部屋と食事を与えてくれるとてもありがたい制度)してた家でも、南島の旅をしてるときに泊まったバックパッカーでも焼きたてのパンを作ってたなぁー。欧米のほうでは結構当たり前なのかもしれない。しかも、焼きたてのパンがすごくおいしかったなぁ。


というわけで、強力粉とスキムミルク(赤ちゃんの飲むミルクの粉のようなもの)と、バターを買ってきて作ってみた。

そして、作ってみて思ったこと。
発酵したり焼いたりする時間は長いからすごく時間がかかりそうだけど、実際に作業してる時間は30分くらいだった。思ったほど時間はかからなかった。

けど…


     結構体力使うのね…

こねるのが結構大変でした。


夢中でこねてて忘れてたけど、私、妊婦でした。腹筋にこんなに力入れても、うちの子大丈夫なんだぁ。今頃へその緒に必死にしがみついてるんだろうなぁ。ゴメンネ



そういえば、ニュージーで作ってた方々はみんな生地をこねるまではの作業は、材料入れて指一本でピッと押して待つだけの機械を使ってました。

でもね、苦労して作った甲斐があった。焼きあがったパンは




     おいしーーーーーーーーーーーーい!!!


     これ!ハマリます!!